念佛院は、当麻山曼陀羅寺と号する浄土宗寺院です。開山は究諦(1590~1639)で、寛永7年(1630)に元鳥越(鳥越2丁目)に起立し、正保2年(1645)に当所へ移転したと伝えています。
本像は、念佛院の境内に安置されています。銅製、鋳造で、大きさは総高188.5センチメートル、像高106.5センチメートルあります。左手は屈臂して前に伸べ、掌を上にして宝珠を捧げ持ちます。右手も屈臂して、前方で錫杖の柄を握っています。また左脚は踏み下げて、蓮華を踏んでいます。
本地蔵菩薩像は、明和4年(1767)4月に制作されました。芝口1丁目(港区新橋1丁目)の諦誉妙聴法尼と西誉浄念法子が願主、吹屋久兵衛と十手山籐七が施主となって、六十六部供養仏として造立されました。また、結縁者の名前(法名・俗名が混在する)が百数十名認められますが、その願意は先祖供養や家内安全等の現世利益を願うもの等、多岐にわたります。
昭和20年(1945)3月10日未明の東京大空襲で、本堂を含む諸堂は大破し、多くの什物も烏有に帰しましたが、本像は焼失を免れました。さらに昭和63年5月には、現在の姿に修復されました。
本像は、江戸時代中期の制作でありながら、面貌は丁寧な作りで江戸時代前期の作風を残しています。しかし、衣文の表現などは簡略化していて、当時代の作風を知ることができます。当時の鋳物師の鋳造技術を知る上でも貴重な作品であるとともに、刻まれた銘文から造顕に携わった人々の願意を知ることができ、当時の信仰を知る上でも重要です。