髪繍六字名号は、毛髪をまとめて縫い上げた六字名号(南無阿弥陀仏)で、中将姫ちゅうじょうひめ所縁の什物として、須弥壇脇の厨子に納められています。
大きさは、縦52.6センチメートル、横(裏打を含む)17.7センチメートル。絹地に蓮華座上に舟形光背を負う六字名号を髪繍しています。
下地裂したじぎれを群青に染色し、舟形光背は金箔を押しています。もとは掛幅かけふくでしたが、修復のために周囲を切り落とし、近代になって厨子に入れたようです。
制作時期は不明ですが、毛髪を太く束ねる点、纏繍まといぬいで面を埋める点に、中世の特色と共通点があります。しかし、髪繍が名号のみである点や、技法が単調であることから、古くても室町時代後期(16世紀)の制作と考えられます。
中将姫は、当麻寺たいまでら(奈良県葛城市)にある独特の「浄土変観経曼荼羅じょうどへんかんぎょうまんだら」(当麻曼荼羅と呼ばれる)の成立縁起にあらわれる伝説上の女性です。
中将姫は、継母に疎まれ不遇の生活を送っていましたが、仏道への志深く、天平宝字7年(763)に当麻寺へ登り法如尼ほうにょにとなりました。法如は自らの毛髪で阿弥陀三尊を縫い、その遺品は各地に伝来しています。
さらに生身の阿弥陀を拝する誓願を立てると、尼に化現した阿弥陀如来が蓮の茎を集めさせて糸とし、観音が化現した織姫とともに曼荼羅を織りあげました。その功徳から宝亀6年(775)、法如は極楽に往生したということです。
本名号は、念佛院の開山である究諦くたい(1590~1639)が、江戸下向の折に、当麻寺念佛院より招来した中将姫所縁の什宝のひとつと推定され、中将姫が自らの毛髪で刺繍したものと伝えています。当寺の創建由緒を物語る遺品であると同時に、近世以前の髪繍名号として貴重な作品です。